24th『僕のこと、知ってる?』の歌詞の意味を解釈

乃木坂46
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ドキュメンタリー映画『いつのまにか、ここにいる』

乃木坂46メンバーに密着したドキュメンタリー映画『いつのまにか、ここにいるDocumentary of 乃木坂46』が7月5日に公開されました。今回の楽曲『僕のこと、知ってる?』はこの映画のエンディングテーマであり、24thシングル『夜明けまで強がらなくてもいい』にも収録されています。

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最终歌词请以歌词本为准

3パートに分かれた歌詞

この楽曲の歌詞は内容で、”1番と2番”、”落ちサビ”、”アウトロ(Aメロ)”に分かれています。それぞれについて内容を確認し、つながりを確認します。

1番と2番 -記憶喪失になった語り手-

1番

知らない街のどこかに
一人で立っていた
どうしてここにいるのか
僕にもわからない
Ah…

今までのこと何にも
覚えていなかった
人混みの中 ポツンと
途方に暮れてたんだ

青い空は澄んでて
いつもよりもキレイで
なぜだか涙が止まらなくなった
風が吹いたせいなのか?
雲はどこに行ったんだ?
迷子だ(迷子だ)迷子だ(迷子だ)
記憶喪失

僕のこと、知ってる?(僕のこと、知ってる?)
ねえ誰か教えて(ねえ誰か教えて)
何者なんだろう?考えたって
自分のことが思い出せない
僕のこと、知ってる?(僕のこと、知ってる?)
手がかりが欲しいんだ(手がかりが欲しいんだ)
ここまで生きた思い出さえ
落としたのかな(捨ててしまったか)
忘れてるのか
ホントの僕は
(今もきっと 今もきっと 今もきっと)
いつかの僕を
(探したいんだ 探したいんだ 探したいんだ)

乃木坂46 『僕のこと、知ってる?』

1番の始まり。情景描写→状況説明のおきまりのパターンとは逆に、語り手の状況説明から始まります。自己意識を取り戻した語り手の思考の順序としては自然で、聴き手にとっても、状況がすんなりと浮かんできます。
語り手は知らない土地にひとり立っている自分に気づきます。今までのことを何も覚えておらず、どうしてここにいるのかもわかりません。
「知らない街」とありますが、語り手にとって縁のない土地というよりも、記憶喪失により街を忘れてしまっていると考えられます。

Bメロに入ると、低音のベースラインがドラマチックに加わり、いよいよ情景描写に入ります。記憶を失ったことで語り手の目にはいつも見ているような光景が新鮮に感じられます。子供は世界に慣れていないために刺激が多く、時間が長く感じられる。同じように語り手にとっても、青空が綺麗に映ります。
「雲はどこへいったんだ」から繋がって「迷子だ」という表現は、雲ひとつない空を”雲が迷子”と表現することにより、語り手が迷子になった自分を雲に重ね合わせて歌詞にしています。

ここで引っかかってしまう表現は「いつもよりも」というものです。記憶喪失は人それぞれの程度で起こるというものの、一般に短期記憶の方から失われていき、語り手の場合は自分が誰かを忘れてしまうほどの深刻な記憶喪失になっています。その中で、記憶を失う以前と青空を比較している「いつもよりも」の表現は少しこの楽曲にそぐわない表現であると言えるかもしれません。
もちろん語り手のなんとなくの感覚があったと解釈することもできるでしょう。

Aメロの初めでは「一人で」、終わりでは「人混みの中」と全く別の表現が用いられています。この意味するところはなんなのでしょう?
1つの解釈では初めは人気ひとけのない場所で自分に気づき、その後Bメロで描かれる情景に目を向けながら人がいる方へとさまよい歩き、人混みの中に入っていった。と考えることができます。
また、別の解釈としては、「一人で」は友人などと一緒ではないことを意味し、初めから人混みの中に自分を見出だした。と考えることもできます。

私の初めのイメージでは前者でしたが、初めの場所ですでに「街」という表現があることから、今の認識は後者寄りです。
これは聴き手が記憶喪失の彷徨者としてどんなイメージを持っているかに大きく依存している気がします。

サビに入ると、語り手は人混みを構成する人に向かって、自分が何者かを尋ねます。セリフ調の歌詞により、同時に聴き手に尋ねているような効果を持ちます。
最後の「ホントの僕は(今もきっと)いつかの僕を(探したいんだ)」の部分は解釈が難しいところで、最後で言及しています。
記憶喪失の文脈において、「いつかの僕」を探したい「ホントの僕」という構造があるため、「ホントの僕」とは記憶喪失以前の自分ではなく、現在の自分に近いものとして捉えておく方が適切であると言えます。

(この部分「いつかの僕」とされているところが多いのですが、聞いた感じ「いつかの僕」なので、そちらを採用しています。公式の歌詞が確認できましたら記載します。)
(190905 「いつかの僕を」と確認されました)

2番

そばの誰かに聞いても
答えてもらえない
他人(ひと)のことなど 結局
親身になれないのか

道の先がどこまで
そう続いていようと
通行人には関係ないんだ
自分が向かう場所まで
辿り着けばいいだけ
勝手だ(勝手だ)勝手だ(勝手だ)
傍観者たち

僕のこと、知らない?(僕のこと、知らない?)
会ったことないかな?(会ったことないかな?)
見かけたことくらいありませんか?
何か隠してる そんな気がする
僕のこと、知らない?(僕のこと、知らない?)
足跡を見つけたい
誰かに似てるとかでいい
勘違いでも(ただの誤解でも)
思い込みでも…
それでも僕は
迷子のままだ

乃木坂46 『僕のこと、知ってる?』

人混みの中の人に自分が誰か、自分を知らないかを尋ねても、答えてはもらえませんでした。
結局彼らにとって語り手の存在は他人に過ぎないのでしょう。親身になって話を聞いてくれる人はいませんでした。

語り手はその様子を通行人に譬えて話します。「道」はみんなが使うものなのに、通行人にとっては自分が使う部分さえきちんとしていればそれでいいのでしょう。自分が使わない部分については続いていようが、途切れていようが、荒れていようが、どうだっていいのです。
だから、語り手が自分が歩んできた「道」について尋ねても、通行人は我関せずでした。
語り手はその様子を「勝手だ」と嘆きます。

ここからは過解釈かもしれません。
人の人生はさながら「道」のようです。他の人の「道」と合流し、分かれ、交差していきます。語り手は道を尋ねますが、通行人は自分の道が自分の「道」と交わらない部分には興味がありません。
人生=道のメタファーはこすられ過ぎたモチーフですが確かによくあっています。

サビでは、再び1番のように自分を尋ねるセリフが並びます。そのセリフは、1番に比べて枝葉の情報まで拾おうという必死さが伝わるものになっています。それでも頑なに答えない「傍観者たち」に、語り手は「何か隠している」ような気さえしています。

このような必死の聞き込みをしても、それでも、語り手は自分が誰かがわかりません。
「迷子のまま」なのです。

落ちサビ -一般人のように人混みの中を歩きたかった語り手-

そう誰も知らない(そう誰も知らない)
世界へ行きたかった(世界へ行きたかった)
顔を晒したって気づかれない
人混みの中 歩きたかった
自分が誰か
どうだっていい

乃木坂46 『僕のこと、知ってる?』

2番のサビからしっとりとした雰囲気になり、落ちサビに入ります。

ここでは自由に街を歩けなかった語り手の願望が語られます。この部分から、語り手は有名人であることが推測されます。「誰も知らない世界」というのは、その後の内容から、冒険的な意味ではなく、”(自分のことを周りの誰もそれ以上は)知らない世界”という意味であると考えられます。

一般の人は人混みの中を顔を晒して堂々と歩くことができます。語り手はそのような存在に憧れを抱いています。

歌詞は「自分が誰かどうだっていい」と続きます。この言葉も解釈の揺らぎが考えるところです。ここでは、この表現が「人混みの中」の性質を表していると読み取りました。
この言葉によって、街を歩く人混みは、自分というミクロな存在を人混みというマクロな存在に飲み込まれ、「自分が誰か」など、考える必要がないことを歌い、落ちサビ全体として自分もそうなりたいと表現していると考えられます。

僕のこと、知ってる?(僕のこと、知ってる?)
ねえ誰か教えて(ねえ誰か教えて)
何者なんだろう?考えたって
自分のことが思い出せない

僕のこと、知ってる?(僕のこと、知ってる?)
手がかりが欲しいんだ(手がかりが欲しいんだ)
ここまで生きた思い出さえ
落としたのかな(捨ててしまったか)
忘れてるのか
ホントの僕は
(今もきっと 今もきっと 今もきっと)
いつかの僕を
(探したいんだ 探したいんだ 探したいんだ)

乃木坂46 『僕のこと、知ってる?』

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