24th『僕のこと、知ってる?』の歌詞の意味を解釈

乃木坂46
この記事は約5分で読めます。

3つのパートのつながりをどう解釈するか?

この楽曲の歌詞を解釈するために避けては通れないのが、「記憶喪失」のモチーフをなんのアレゴリーとして処理するか、という問題です。
多くの仮説が浮かんでは棄却されていきました。

まず、ストレートに記憶喪失になった語り手が物語の中に”存在”したと仮定する場合、有名人であることが示唆された語り手に対して、街の中で誰も声をかけていないという矛盾が生じます。
これは記憶喪失のモチーフがアレゴリーとして働いていることを示唆します。

この矛盾を解決するにはどのように考えたら良いでしょうか?
ポスターの描写から、この記憶喪失になった「街」において語り手が有名であることは間違いないでしょう。
ですから、”人々が語り手について教えてくれない”というのは、教えてくれることが語り手の意図と違うということという可能性が考えられます。

ここで、落ちサビの内容をもう一度精査してみましょう。落ちサビでは、有名人である自分と一般人を対比し、人混みを構成する人々を羨ましがっています。そして、彼らを羨む理由は、「自分が誰か」を考えなくて良いからです。自分自身を売り込んでいく必要に迫られる芸能界にいると、必然的に「自分が誰か」について考える機会が増え、それを見失うことも多くなります。

ここから考えるとこの様子を「記憶喪失」というモチーフを寓喩として表現していると言えるのでは無いでしょうか?
周りの人が教えてくれない様子というのも、「いつかの僕」について教えてくれることはないということを表しているとすると、ぴったりと理解できます。

この内容をまとめると、

「記憶喪失」のモチーフは芸能生活を行う中で、「いつかの僕」の姿を見失ったことの寓喩として、語り手によって採用されている。語り手は、自分自身を売り込んでいく必要のある芸能界にいる中で、必然的に「自分が誰か」を考えさせられ、”本来の”自分を見失い、忘れてしまった。そんなことを考えなくて良い一般人を羨ましく思うこともある。
しかし
「いつかの僕」を忘れてしまったはずの自分も、「いつかの僕」の存在には気づいており、なんとかそれを思い出そうとしている。きっとなんとなく「いつかの僕」の存在を覚えている「ホントの僕」が、それを探したいんだろう。

となりました。「記憶喪失」の持つ時系列のイメージから、語り手は自分を見失ったというだけでなく、過去の自分が今より良かったという感覚をなんとなく持っていることが想像されます。これはサビの部分でなんとか思い出そうとしていることからもわかります。

また、語り手は「記憶喪失」を起こしている自分を自覚しているため、記憶を失いつつも、記憶があった事実は知っていると受け取ることができます。”記憶にないということを知っている”のです。
このことと、サビの「ホントの僕は(今もきっと)いつかの僕を(探したいんだ)」という表現は非常によくマッチしていて、語り手は自身の奥底にある意識を「ホントの僕」と表現することにより、深くから湧き上がる本来の自分を取り戻したいという欲求を表現していると言えるでしょう。

<モチーフを主体的に選択する語り手像>
「解釈の坂道」では基本的なスタンスとして語り手がモチーフを選択することを仮定していませんでした。
しかしながら、この楽曲については語り手が実際に「記憶喪失」になっていないことが描写から演繹でき、語り手が自身の様子や考えを表現するために「記憶喪失」のモチーフを選んでいる(ように作詞家が書いた)ように理解できるため、上の解釈においても、”語り手によって採用され”の記述を盛り込みました。

歌詞を乃木坂46のグループとつなげて考える

とりあえずの解釈を終え、グループとの関連の中で歌詞を捉えてみましょう。
作詞者は当然語り手のイメージとしてメンバーのことをイメージしているでしょうから、語り手のイメージは乃木坂46メンバーのイメージによく重なります。

一般人だった女性が、急に国民的”アイドルグループ”のメンバーとなる。芸能人となる。その中で、”いつかの僕”を見失ってしまうメンバーもいたし、出てくることでしょう。

“いつかの僕”は、芸能界に入る前の自分なのか、素の自分と芸能界の自分のバランスがとれていたころの自分なのか、仕事が一番うまくいっていた頃の自分なのか、それについては歌詞の中で語り手は言及していません。
白石麻衣さんは四次元から来てましたし、西野七瀬さんはポジションの問題から秋元真夏さんとギクシャクしていたというような過去があります。二期生の多くは加入後ポジションに恵まれていません。それ以外にもファンが知り得ない苦労があるでしょう。

その変化を急に自覚し、”いつかの僕”を思い出そうともがくとき、アイドルになんかなるんじゃなかった、一般人としていれば良かったと考えてしまうこともあるかもしれません。
『いつのまにか、ここにいる』のエンディングとして聴くと、一層映画で登場した乃木坂ちゃんたちの姿が語り手に重なって感じられます。

アウトロ

街に貼られたポスター
誰かに似てるような…

乃木坂46 『僕のこと、知ってる?』

苦しむ語り手は「街」でポスターを見つけます。写っている人物は「誰かに似てる」。
それは、(今の自分によく似た)「いつかの僕」でした。

2番のサビで用いられた「誰かに似てる」という表現が再び用いられています。ポスターに映っているのが誰かというのは、自然に読むと語り手自身であると推測されます。直接自分であると歌うのではなく、文学的な表現になっています。

「今までの自分」を取り戻すきっかけを得た語り手の様子が印象的なモチーフによって示され、歌は希望的な後味を残して美しく終わります。


190829 公開
190905 歌詞の表記を修正・引用部分を修正・本文を追加・動画リンクを追加
190924 動画リンクを変更

コメント

タイトルとURLをコピーしました