乃木坂46『~Do my best~じゃ意味はない』の歌詞の意味を解釈 -結果至上(と信じ込んで)-

乃木坂46
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24th『~Do my best~じゃ意味はない』センターに岩本蓮加

24thアンダー楽曲にはセンターとして三期生岩本蓮加さんが抜擢。アンダー楽曲初の三期生センターとなりました。彼女自身では『トキトキメキメキ』以来2度目のセンターです。
選抜メンバー枠が24→18となったこともあり、23rdから選抜漏れした伊藤理々杏、岩本蓮加、阪口珠美、佐藤楓、鈴木絢音、渡辺みり愛の6名が参加しています。

乃木坂46 『~Do my best~じゃ意味はない』Short Ver.

↑Do my bestの文字が消されている

楽曲はA→B→C→サビ→D(ブリッジ)→B→C→サビ→大サビ→アウトロの変則構造で、1番のサビの後に別のメロディー(D)が入り、2番のBメロへと接続します。その分、2番のサビからはすぐに繰り返しのように大サビに入ります。油断して聞いているとどこへ飛んだかわからなくなる、、

1番 Aメロ

声なんか出したくないよ
自分だけの問題だ

乃木坂46 『~Do my best~じゃ意味はない』

曲はしっとりとしつつ、決然たる語り手のモノローグから始まります。

ここで、「自分だけの問題だ」という宣言から、”声を出す”ことは音を上げる、助けを求めるというような意味を持っていると言えます。

1番 Bメロ・Cメロ

どう思っているのか どうしようとしているのか
僕は心の中で呟いていた

Do Do Do Do my best!(Wow)
Do my best!(Wow)
Do my best! 何回も…
Do Do Do Do my best!(Wow)
Do my best!(Wow)
呪文のように…

乃木坂46 『~Do my best~じゃ意味はない』

語り手には声に発さない代わりに、「心の中でつぶやいていた」ことがありました。
それは「Do my best」という言葉。自分のベストを尽くすということです。

1番 サビ・Dメロ

全力 やってみるけれど できるかわからないだろう
Excuse 初めから逃げるのか?
そうだ
僕なりに頑張ってみるけど 自信はないんだ
Excuse 言い訳に聞こえるか?

ベストを尽くすって言葉  ←”言葉”ではなく”ことが”としているサイトが大半 190901
それだけなら誰でも言えるさ
結果 出さなきゃ意味無い

乃木坂46 『~Do my best~じゃ意味はない』

Do my bestという言葉は最善を尽くすことを意味します。反面それはその上でできなかったことを正当化することと表裏一体です。つまり、Do my bestという言葉は将来のできなかった自分が使える言い訳(Excuse)となることもあるのです。既に語り手は「全力でやってみるけれどできるかわからないだろ」という部分でその逃げの姿勢を見せています。

やる前から”Do my bestの免罪符”で保身しようとする自分を自覚している語り手は、自分自身に対し、「初めから逃げるのか」と叱咤を与えます。一方、Do my bestの言葉で動く心は、その妥協なき自分に反論し「そうだ」、「言い訳に聞こえるか」と開き直り自身を正当化しています。

それでも妥協なき自分は、結果を出さなければ意味がない、ベストを尽くすなんて言葉は保身のための言葉に過ぎない、実際にベストを尽くそうが尽くさまいが口先だけで言える言葉だと、自分自身を戒めます。

頑張って偉かった
踏ん張ってよくやった
(Yes!)そんなの慰めだ
(Yes!)そんなの負け犬だ

No best tries!
It’s for sure!
Yes! I can do it!

乃木坂46 『~Do my best~じゃ意味はない』

No best tries: 最高の挑戦などない
It’s for sure.: それは確かだ
Yes, I can do it.: そう、私はできる

Dメロではベストを尽くしたけれど成らなかったという人に対して贈られる常套句を唾棄し、その言葉をかけられる状況に安住しようとする自分自身を咎め、発奮させています。

それらの言葉をかけてくれるのは周りの人たちか、それとも自分自身でしょうか。
語り手が初めからうまくいくイメージを持っていないことは、語り手がこれまでも全力でやってうまくいかない経験を繰り返してきたことを示唆します。そのような語り手は、自分自身に「頑張ってえらかった」「踏ん張ってよくやった」と言った言葉を贈って満足することに慣れてしまっているのでしょうか。しかし今回はそんなところに甘んじる自分ではないと言い聞かせているのでしょう。

2番 Bメロ・Cメロ

どう思われようと 誰に何を言われようと
僕は自分の力 信じたいんだ

Do Do Do Do my best!(Wow)
Do my best!(Wow)
Do my best! いつだって
Do Do Do Do my best!(Wow)
Do my best!(Wow)
唱えてるよ

乃木坂46 『~Do my best~じゃ意味はない』

2番はBメロから始まります。文字情報では1番のBメロ・Cメロとほとんど同じように読み取れます。
しかし、1番で安易な自己保身に走らないことを決意した上でのDo my bestの言葉であると読み取ると、2番のサビに綺麗に内容がつながります。

1番では出ていなかった、”周囲を気にせず”のイメージが2番では追加され、物理的な孤独の中で語り手が戦っている訳ではないことがわかります。周囲には見守ってくれる人か、応援してくれる人か、批判的な人か、そこまでの記述はありませんが、とにかく一人ではなさそうです。

(しかし彼らは「頑張ってえらかった」と声をかけてきそう)

2番 サビ〜大サビ

火事場の馬鹿力を出せ!思いもよらないくらい
Energy どこからか湧いて来る
これだ
自分でも想像できなかった 潜在能力だ
Energy きっと眠っている

乃木坂46 『~Do my best~じゃ意味はない』

やる気に燃えている語り手は、「どこからか湧いてくる」力(Energy)を感じます。語り手は湧き上がってくるその力を自分の潜在能力と感じ、自信を持って向かっていこうとしています。

「思いもよらないくらい」は「湧いてくる」に係っていると考えることも、「出せ」に係っていると考えることもできそうです。

Try以前最善以上の Oh…  ←“最善以上の”の可能性あり 190901 訂正190904
奇跡をください Oh…

諦めちゃってるような感じ  ←歌詞怪しい 190901
無理してみたって同じさ
ちゃんと(ちゃんと)やらなきゃしょうがない
ちゃんと(ちゃんと)やったらうまくいく

乃木坂46 『~Do my best~じゃ意味はない』

大サビの歌詞は「Try以前以上の」と聞こえ、そのように判断しているサイトが多いですが(190901)、公式歌詞の発表を待つところです。

そのあとに「奇跡をください」という表現があります。これはDo my bestの結果以上のものを得ることを指していると考えられます。「Try以前」を字義通り”Tryの前まで”と考えると、(これまでの語り手もTryして失敗してきた訳だから、)あまりにも「奇跡」のハードルが低すぎてそぐいません。
正しい歌詞と併せて精査が必要です。

「最善以上の奇跡をください」が正しいことがわかりました。
何かに取り組むとき、結局我々にできることは最善を尽くすことだけ。結果にこだわる姿勢を見せた語り手にも、それはわかっているようです。ベストを尽くした結果の失敗や小成功を最善と呼び、それを超えた「奇跡」を手にすることを願っています。

私は趣味で麻雀をやるのですが、このゲームはどんなに強いプロでも負けるべくして負けることがあり、アマチュアに対しても必ず勝てるというわけではありません。できるのはベストを尽くし、勝つ確率を上げることだけ。プロの結果至上の世界ではなおさら、結果と過程(強さ)の折り合いをつけたメンタルの保ち方が大切になっています。

この表現は、(1)”語り手が結果至上になりきれずにいる”とも、(2)”結果至上の言葉は自分への鼓舞の言葉で、本当はベストを尽くし続けることを重視している”とも、(3)”語り手が結果至上と過程至上の良いバランスで壁に向かえている”とも、色々な捉え方ができそうです。
私は(2)の視点がもっとも自然であると考え、下の項で説明しています。

最後の歌詞も疑問が多いものになっています。
Do my bestじゃダメだ、Do my bestを超えて、結果を出さなきゃ。そう思った語り手のまま曲が終わる方が自然で、この弱気が出てくる解釈は気持ち悪い。
ただ、
(残念ながら?)「奇跡をください」の受動的な表現や「無理してみたって同じさ」から、結果至上で、結果を勝ち取りにいこうとする野心的な語り手像を想像するのは明らかに誤った解釈です。

【考察・鑑賞】”ダブルスタンダードの中にある語り手の存在”を主題と考えてみる?

語り手は湧き上がってくる潜在能力を感じ、自分はできるという感覚を持っています。「ちゃんとやったらうまくいく」という表現から、今のこの状態でベストをきちんと尽くせば成功することをなんとなく感じていると言えるでしょう。

1番やDメロで、結果至上を掲げながら、一方で頑張ったところで結果がついてくるわけではないことを語り手は知っているようです。それは「最善以上の奇跡をください」「無理してみたって同じさ」の言葉に出ています。そしてこう考えている自分自身をある意味「諦めちゃってるような感じ」と表現しています。

この部分から、語り手は結局、過程至上主義の人間であるのだと考えます。

1番では、過程至上主義を上手く利用し、成果を出せない自分を正当化することで心の安寧を保ってきた自分自身を、自ら結果至上主義の淵へと追い込んで、自分の力以上のものを出そうとしている語り手の思考が描かれていました。

それではなぜ、語り手は過程至上の自分を抑圧しているのでしょうか?最も尤もな理由は、語り手が成果を出せない自分はDo my bestを尽くせていないということを自覚したからであると考えます。

初めからベストを尽くしても成らないことがあると頭のどこかで思っている状態で、ベストを尽くしたという救済の存在があらかじめわかった状態で、果たして”真にベストを尽くせ”るのでしょうか?

Do my bestによって未来の成功を産むことが過程至上主義の主眼であるはずなのに、過程至上主義自体によって、Do my bestでない自分が追認されてしまうのでは残念なことになります。
実際には、自分が結果如何に関わらず肯定される、という事実がtryのときになんとなく頭に残っているということがDon’t do my bestに甘んじる原因となっているのです。

語り手はこれを自覚し、自らにわざと結果至上主義の正当性を信じこませ、tryに進もうとしています。その過程が1番のサビ、Dメロで歌われているのです。最後の部分を解釈することで、語り手が単に過程至上主義を脱却し結果至上主義になったというわけではないことが理解できます。

過程至上主義のDo my bestを頭の中では掲げながら、自分は結果至上主義の中になければ、真のステップアップを伴う過程至上主義は実現されない。実際に結果を至上とすることで、語り手の潜在能力が解放され、真のDo my bestが実現できそうです。

しかし、それを語り手は自覚できるのでしょうか?もしくは、して良いのでしょうか?
大サビからは過程至上主義の語り手の考えがわかりますが。。


190901 公開
190904 歌詞の一部を修正・修正箇所について解釈を削除及び追加・動画リンクを変更
190905 歌詞の一部を修正・引用部分を修正

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