21st『ジコチューで行こう!』の意味を解釈 -爽やか!直球な生の言葉!-

乃木坂46
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21stシングル表題曲『ジコチューで行こう!』

齋藤飛鳥さんが15th『裸足でSummer』以来の単独センターを務めるこの楽曲。彼女には「また夏曲か」の言葉もありましたが、確かに夏曲らしく、爽やかかつ、ひねりがない、そのまんまな歌詞になっています。時にはこんな曲もいいですよね。

また、二期生から20th「新しい世界」センターの鈴木絢音さんが待望の初選抜、三期生から梅澤美波さん、岩本蓮加さんが初選抜・初福神入り。

ベトナム・ダナンを中心としてMVが撮影されました。『裸足でSummer』では見られなかった美しい海とメンバーの取り合わせにも注目です。

乃木坂46 『ジコチューで行こう!』

1番 -夏の清々しい体験に触発され、”ジコチュー宣言”する語り手-

坂を駆け上がって
肩で息しながら(wow)
強い日差しの中
入江の向こうに広がる海原

ずっと抱えてた悔しいことが
何だか ちっぽけに見えて来た
やめよう!もう…

この瞬間を無駄にはしない
人生あっという間だ
周りなんか関係ない
そうだ
何を言われてもいい
やりたいことをやるんだ
ジコチューだっていいじゃないか?
マイウェイ
マイウェイ

乃木坂46 『ジコチューで行こう!』

まずAメロは夏の風景の中で動く語り手の描写から始まります。坂を駆け上がって息が上がっている語り手は、その坂の上から広い海原を見渡します。

Bメロでは情景描写から心情描写へと切り替わり、語り手が「抱えてきた悔しいこと」を「ちっぽけ」でどうでもいいと感じます。Aメロで見た広い海原と比較して悩みがちっぽけに感じたのか、夏の日の下で坂を駆け上がり、、という一連の行動のすがすがしさから悩みがどうでもよくなったのか、とにかく語り手は悩みを抱え続けることを「やめよう!もう…」と決めます。

サビに入るとさらに語り手の決意がはっきりと描かれます。
それは「やりたいことをやるんだ」でしょう。
補足的に「周りなんか関係ない」「何を言われてもいい」とあります。この表現は逆説的に、それまでの語り手が周囲の目や意向を気にして、やりたいことができていなかったことを示唆します。Bメロの「悔しい」という表現とも繋がり、語り手が今日まで抱えていたこととは、周りの人たちと食い違った過去や、それを過度に恐れる心であったと考えられます。

そして、「ジコチューだっていいじゃないか?」という呼びかけの表現により、聴き手にそのスタンスを提案します。
疑問形の形ですが、同意を求めているのではなく、講演の最後に観客に呼びかけているイメージです。
そして同時に語り手は、今までのそしてこれからの自分自身にも「ジコチューだっていいじゃないか?」と呼びかけます。

2番〜落ちサビ〜大サビ -「青空」と「夕立」-

嫌なことが全部
汗で流れ落ちれば(wow)
エゴサばかりしてた
今日までの自分も生まれ変わるかな

目立たないのが一番楽で
叩かれないこととわかったよ
だけど もう

この青空を無駄にはしない
夕立もきっと来るだろう
今しかできないことがある
絶対
どんなに呆れられても
思い通りやるべきだ
嫌われたっていいじゃないか?
マイペース
マイペース

この瞬間を無駄にはしない
人生あっという間だ
周りなんか関係ない
そうだ
何を言われてもいい
やりたいことをやるんだ
ジコチューだっていいじゃないか?
マイウェイ
マイウェイ

乃木坂46 『ジコチューで行こう!』

2番の内容も同じです。 周りの目を気にすることの象徴として「エゴサ」という表現が用いられています。
秋元さんはこのような新しめの単語を好んで歌詞に組み込んで、効果的に用いています。短い単語で多くの情報量を詰め込め、聴き手をハッとさせる効果もあります。

2番のサビでは「無駄にはしない」と宣言されているものが「この瞬間」から「この青空」に変わっていますが、結局同じことです。というのも、”素晴らしい今という瞬間”のイメージが”夏の美しい青空”に託されているからです。 言い換えれば、青空はこの瞬間のメタファーなのです。 『何度目の青空か?』では主題として登場している表現ですね。

しかし夏の青空は儚いもので、すぐに夕立が来てしまいます。この儚さのイメージによって、この瞬間の大切さが際立って表現されます。

Cメロ -呼びかけ-

みんなに合わせるだけじゃ
生きてる意味も価値もないだろう
やりたいことをやれ
ジコチューで行こう!

乃木坂46 『ジコチューで行こう!』

最後は全音下に転調して、また同じ主題を繰り返して終わります。

表現を省略すること、セリフ調の歌詞にする効果

この楽曲の1番のAメロでは(wow)の前の表現を「肩で息しながら」と次を期待させる形で止めることによって聴き手の自由な想像を掻き立てています。そして最小限の言葉で語り手の動きを表現しているのです。

「肩で息しながら」”振り返った”のでしょうか、「肩で息しながら」”立ち止まった”のでしょうか?
のちのちの内容からすると、”手を振り(坂の下から遅れてやってくる)友を呼んだ”とかは入らなさそう。「ジコチューで行こう」ですから、一人でいる方がそぐいそうです。

一方2番では、「汗で流れ落ちれば」以下の内容はきちんと「生まれ変わるかな」で受け止められています。

この楽曲では、このようにあえて表現しないことによって、歌詞が説明臭くならないようになっていると言えます。
サビ前に見られる、「やめよう!もう」のようなセリフ調の、より”生感”の強い部分も、語り手の気持ちをストレートに重くならないように表現する工夫と言えるでしょう。

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