24th『路面電車の街』の意味を解釈 -欲張りなノスタルジー要素-

乃木坂46
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齋藤飛鳥・堀未央奈・山下美月3人による24thカップリング

8月13日、公式チャンネルにおいて24thカップリング曲の一つ、『路面電車の街』が公開されました。
ノスタルジーに溢れた歌詞とメロディー。王者の組み合わせであるこの曲はどのような内容なのでしょうか。

乃木坂46 『路面電車の街』Short Ver.

1番のAメロ・Bメロ -語り手の帰郷が実家の情景描写から始められる-

故郷(ふるさと)へ帰るのは もうどれくらいぶりだろう
いつの間にか 父親の白髪(しらが)が増えていた

高校を卒業して勝手な夢 追いかけた
僕には自慢できるような土産話がない

そのままにしてくれてた西陽が差す僕の部屋
窓を開け 風を入れ替えてたら ふと誰か会いたくて…
乃木坂46 『路面電車の街』
語り手の帰郷の様子が語り手の目線から語られます。1・2行目の叙述から、前回いつ故郷にいたのかわからないくらい久しぶりのことであることがわかります。

語り手の離郷について得られる情報はないでしょうか。
追いかけた夢について、「勝手な」と表現していることから、この夢は家族や高校に反対されたことや、一般に受け入れがたいものであったことが示唆されます。それを踏まえてこの部分の表現をみると、そのように背を向けて去った故郷に久しぶりに帰ってくるというのに土産話がなく困っている語り手の心情がよりはっきりと感じられます。
また、自分の部屋を「そのままにしてくれてた」ことについても、反対を押しのけて家を出たのにもかかわらず、家族が部屋をそうしていてくれたことについて家族の気持ちがより感じられます。

1番のサビ -「路面電車」の窓を通して故郷の街をみる語り手-

路面電車がガタゴトと走って行く街は
今も君が歩いてるようなそんな気がしてしまう
通り過ぎる窓の景色はあの頃と変わったけど
そう僕たちがいつも待ち合わせた懐かしい思い出はここだ

乃木坂46 『路面電車の街』

実家から路面電車の走る街中へと場面は切り替わります。路面電車が走る場所といえば、地方都市の駅前といったイメージでしょうか。

「通り過ぎる窓の景色」という表現から、語り手は路面電車に乗っていると考えられます。別の解釈として、路面電車とは別の普通の電車の中に語り手があり、高架から路面電車や街を見ているとも考えられます。しかし、少なくとも自然な解釈とは言い難いですし、「ガタゴト」という生音が使われていることから路面電車の音が聞こえる場所に語り手がいると考えます。

路面電車の窓越しの街並みの中に、語り手はいるはずのない「君」を思い、映し出します。語り手が高校生の頃と街の風景は変わってしまったけれど、語り手と「君」が待ち合わせた思い出は確かに存在します。ここの表現では、単に待ち合わせた場所が残っているという意味ではなく、「待ち合わせたという思い出」ごと場所に張り付いて残っていることが強調されます。つまり、街並み自体の変化について表現されているというよりも、語り手の心情によって意味付けられる「街」が描写されていると言えます。

この楽曲では通じてこのような表現が見られます。これはノスタルジー曲では当然のことかもしれませんが、淡々と街自体の描写を重ねていく同系統の曲もある中、語り手の心情がさらに1歩踏み出した表現になっているのはこの曲の大きな特徴と言えるでしょう。

2番〜Cメロ -変わらない「街」を見つけ出した語り手-

どんな顔をすればいい 決まり悪い僕なのに
まるで何もなかったように狭い路地は続く
区画整理されるって言われてた商店街
シャッターがいくつか降りてたけど あの店はまだあった
路面電車の警笛が聴こえて来る街は
君を乗せて自転車を漕いだあの夏の日のままだ
緩いカーブ曲がる手前で信号を待つ間に
もう僕たちは別々の人生歩いてる現実を思う
なんで こんなにやさしいのだろう
一度は背中向けた街のあの夕焼けが
何も言わずに包んでくれた ああ…

乃木坂46 『路面電車の街』

2番のAメロとBメロでは実家ではなく故郷の街並みが舞台となります。路面電車では入れないような商店街の描写が入るので、ここではサビとは独立した場面であると考えてよいでしょう。

Aメロの「決まり悪い僕」やCメロの「一度は背中向けた」などの表現から、離郷は家族の反対を押し切ったことに加え、語り手にとっては故郷を捨てたような意識を伴うものであったと言えます。にもかかわらず、故郷の風景はそれをたしなめるようなことはまるでなく、語り手には「まるで何もなかったように狭い路地は続く」、「夕焼けが何も言わずに包んでくれた」のようにそんな自分さえも受け入れてくれる存在として感じられています。

Bメロ。自分が高校生の頃に区画整理の話が持ち上がっていたはずの商店街は予算が足りないのか、再開発は結局行われていない。シャッターを降ろして店を畳んだところも多い中、「あの店」は頑張っている。地方にありがちな様子を歌いつつ、語り手は「街」に風景としての変わらないものを見つけます。「あの」という表現から、語り手にはその店について何らかのエピソードがあることが示唆されます。家族と来たのか、「君」と来たのか、その内容は聴き手に委ねられます。

2番のサビでは再び「路面電車」が登場し、1番のサビでは「景色はあの頃と変わった」と歌われたはずの街並みについて、今度は「あの夏の日のままだ」と正反対のことを言っています。
この2番のサビでの語り手の状況について、(1)路面電車を降り街に繰り出している、(2)依然として路面電車の中にいる、の2通りの解釈ができます。それぞれのイメージでサビ部分を紐解いていきましょう。

(1)路面電車を降り街に繰り出している
街を歩いていると遠くから路面電車の警笛が聞こえてくる。さっきまで窓から見て「景色はあの頃と変わった」と感じていたけれど、見た目こそ変われ、感じる「街」は「あの夏の日」のままだ。
すると、変わらない「街」と対比されることで、「あの夏の日」に一緒に自転車に乗っていた「僕」と「君」が別々の人生を生きているという事実が今までより強く感じられた。交差点の歩道で信号待ちをしているときのことである。

(2)依然として路面電車の中にいる
遠くから別の車両の警笛が聞こえてくる。確かに窓を通して見ている「景色はあの頃と変わった」。けれど、聞こえて来た警笛はあの頃のままじゃないか。それに気づくと高校生時分の街の記憶と今の街並みは近しく感じられて来た。
すると、変わらない「街」と対比されることで、「あの夏の日」に一緒に自転車に乗っていた「僕」と「君」が別々の人生を生きているという事実が今までより強く感じられた。路面電車が止まっている。信号待ちをしているのだ。

2つの解釈では語り手の物理的な場所が異なります。また、作品中での「警笛」の効果が異なります。(1)では語り手が路面電車から離れていることを示唆しつつ、「街」の中で不変であった聴覚情報の1つとして機能します。一方(2)では、後者の機能しか持ちません。
さらに付随して、語り手が「街」が「あの夏の日のままだ」と感じるに至った理由が異なります。(1)では路面電車から降り、街並みや息遣いを近くで感じることにより、語り手の主観的な「街」は「あの夏の日のままだ」と感じています。他方(2)では、風景という視覚情報では変化があったのに対して、「警笛」という聴覚情報では「あの夏の日のまま」であり、それに気づくと、主観的な「街」は「あの夏の日のまま」のように見えて来た、という過程を辿ります。

落ちサビ〜大サビ -「路面電車」に乗る人びとのドラマを思う-

路面電車は今日もまた街の中を走り
人の想い運び続けてる日常的な風景
そして
路面電車がガタゴトと走って行く街は
今も君が歩いてるようなそんな気がしてしまう
通り過ぎる窓の景色はあの頃と変わったけど
そう僕たちがいつも待ち合わせた懐かしい思い出はここだ
そう僕の故郷(ふるさと)はここだ

乃木坂46 『路面電車の街』

落ちサビでは路面電車を故郷の「日常的な風景」としつつ、語り手のように物思いに耽りつつ揺られる人びとに想いを馳せています。この表現は2番のサビでの(2)の解釈と非常によく共鳴します。そのため、「路面電車内で遠くの警笛を聞き、信号待ちをする」という点で無理がある(2)についてもありうると考え、前項で言及しました。

かつて捨てた故郷はまた語り手を受け入れてくれている。「路面電車」に揺られ、高校時代と変わらない故郷の「街」を発見した。すると、高校時代に親しかった「君」のことも思い出して感傷的な気分になった。これらのことを欲張りにひっくるめて最後の「そう僕の故郷はここだ」にまとめています。

「君」はどんな人か?恋人で良いのか?

楽曲中にある「君」に関する記述は、
・「路面電車」の窓から見えたある場所で何度も待ち合わせた
・「ある夏の日」に、語り手が運転する自転車に「君」を乗せた
・今は別々の人生を歩いている
加えて、
・故郷の「街」を歩くイメージが一番に湧いてくる人物である
ことがわかっています。

これらの内容から、「君」は語り手が故郷において恋愛関係にあった。そして語り手の離郷によってか、今は連絡もとっていない、と考えられます。


190814 公開
190905 歌詞の一部を修正・引用箇所を修正・動画リンクを変更

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