歌詞を解釈する時の、”語り手”を仮定することの意味とは

未分類
この記事は約3分で読めます。

歌詞を解釈する時の、”語り手”を仮定することの意味とは

歌詞の背景にある構造を捉えよう

歌詞には、”語り手”がいます。
歌詞を物語とすると、多くの歌詞は一人称視点で書かれていますから、その一人称が語り手となります。
この語り手は世の中の全てを知っているわけではないので、彼・彼女の視点で物事を切り取り、描写します。

一方、楽曲には必ず作詞者がいます。作詞者は曲に合わせて、語り手をデザインしています。作詞者は自身の主張や考えを自分の言葉で歌詞中に表現するのではなく、創造した語り手に語らせることで主張を楽曲に表現します。

この性格は物語系歌詞を多く作っている秋元康さんの歌詞ではより顕著になると言ってよいでしょう。

反対に作詞者自身の言葉としての性格が強い楽曲もあります。
そのような作品の組み立ては作詞者=演奏者となるクリエイターで多く見られます。
しかし、そのような楽曲についても、語り手が存在しないと理解するよりも、作詞者が語り手として自分自身やそれに近いものを土台として想定していると理解することが適切であると考えます。

語り手という主張する主体を使う理由

主張を語り手の言葉に託すことのメリットとは。それは小説に作家が登場しない理由と同じです。
作詞者が直接聴き手に向かって語りかけるよりも、押し付けがましさが減り、語り手に親近感もわき、よりすんなりと聴き手に主張が伝わります。
また語り手の視点から描写を行うことで、心情を含んだ描写ができます。作詞者が適切な体験を語り手に与え、それを受けた自然な反応として主題を登場させることができます。これらの過程で聴き手が語り手に自身を投影してくれることも期待できます。

聴き手はどのように語り手に向き合い解釈するのがよいか?

楽曲中の表現は語り手によるものであるという視点に立つと、楽曲の解釈とは、語り手の置かれた状況や心情を噛み砕いて理解しすることになります。

そこで解釈の坂道では、”解釈する”ことを、”歌詞から語り手の思考・状況を考えること“と定義し、各楽曲での語り手たちについて解釈を行なっています。

“解釈”には入らないが併せて考えるとよいもの

以上の”解釈”の定義に基づくと、作詞者→語り手の部分は解釈には入らないことになります。

・作詞者がなぜそのモチーフを使ったのか
・作詞者がどんなイメージを持っているか

このような事柄も、解釈に含める場合があります。

しかし、このサイトでは、作品が作詞者の手を離れた後は独立のものとして考えられるべきだ、という考え方から、これらのことはなるべく解釈していく根拠として用いないスタンスで解釈を進めています。(考えることは面白いので時々取り扱っています)

例えば、語り手の身に起こるモチーフは作詞者が創造し、語り手はそれを受けて何かを感じます。そこから歌詞が紡ぎ出される訳で、それは語り手が感じた(ように作詞者が書いた)のです。
そこで作詞者がどういった理由でモチーフを選択したかは、物語の内容に影響を与えないはずです。

であるからして、作詞者の意図が解釈の正解となるとは限りません(作詞者はなるべく意図通りになるように書きますが)。
解釈は作品より下位の内容で決まります。また、複数通りに分かれることもあります。

ここでモチーフの選択は作詞者が行っていると考えます。語り手が自身の考えを歌い上げるためにモチーフを選択していることについては基本的に考慮していません。

歌う人の存在

楽曲を歌うメンバーがいます。
普通の曲についてはいいのですが、卒業の時の曲、グループ自体を歌った曲などは、語り手と歌う人の区別の意味合いが薄くなることがあります。

その場合でも、あくまでも作詞者が語り手のイメージとして特定のメンバーやグループを想定していると考えるにとどめ、語り手=歌う人とはしないスタンスで解釈しています。

卒業作品についても、作品の語り手は独立に存在していて、作品を見るときに聴き手がコンテクストを理解していることで味わいが変化するという捉え方をしています。

コメント

タイトルとURLをコピーしました